この二千二十五年の十月に、自由民主党の総裁に選任された高市早苗という人物は、現パナソニックの創業者の松下幸之助が、日本の政治状況を憂いて、設立した松下政経塾の学びから、その政治家としての人生をスタートさせた人物です。これまでも、松下幸之助のことは、この光文書で書いたことがあるように、その目的は、日本を無税国家とすることでした。その志を正しく受け継いだ政治家は出ないと、思われていたのですが、もしかするとその人物が、高市早苗なのかもしれません。これで、やっと日本にも正しいマツリゴトを考える季節が訪れることを期待して、なぜ、無税国家が可能という結論に松下幸之助が到れたかの話を、精神界からの情報も含めて、書くことにします。
松下幸之助は、PHP研究所という出版社で精神的な教育活動を長く続けていました。そして、晩年に近付いて、そういう活動だけでは日本は変えられないとして、政治の世界に出ようとしたのですが、周囲の圧倒的な反対で、結局、もうひとつの教育機関としての松下政経塾を作り、自ら若い人材の教育に当たりました。その出発点は、日本文化の基本を守り、日本人たる自覚を持つことだったと考えられます。そして、松下幸之助が長い経営者としての経験をもとにたどり着いたのは、国家もまた企業と同じで、優れた政治家というものの仕事は、国家経営というものになるということでした。そして、たぶん、自分ならば、この国を将来的には、無税国家にするだけの経営が可能なのではないかという結論に達したのだと考えられます。
そして、このインスピレーションの原点には、日本の神界が関与したとの情報が私のところにはあります。松下幸之助は、伊勢神宮をはじめとする日本の神社を深く崇敬していましたが、特に縁が深かったのは、石清水八幡宮だったようで、その神格の関与だと、いうことです。
八幡神は、いうまでもなく、武士の頭領たるものとしての祖として、八幡太郎義家の名があるように、武家の領国経営に深く係った神格です。これからの日本に必要なのは、戦国時代から江戸時代まで続いた、この領国経営の知恵だということを、日本神界が教えたものともいえます。そして、このことを松下幸之助が、正しく受け入れられたのは、自身の経営者としての学びと、西洋型の高等教育を受けていなかったために、西洋近代の国家観の影響がなかったというのも大きいのです。
いまの日本を動かしているのは、明治以降に西洋文明のもとで作られた東京大学を中心とした、人材育成機関の教育を受けたものたちで、それらの人材が、主力になった時点から、大日本帝国は、千九百四十五年の敗戦への道をつき進んだのも事実なのです。
そして、戦後八十年の今年、これまでの日本では生き残ることができないと多くの日本人の潜在意識が気付いている、このタイミングで、日本は、松下政経塾で、松下幸之助の無税国家への道筋を正しく継承した女性リーダーを得たのかもしれないということです。
どちらにしても、これで、トランプのアメリカのような、二十一世紀型の国家というものの再建を考える土俵に、日本国民も立つことができたといえるはずです。
これも、日本神界の日本列島の取り戻し計画のひとつの成果だと考えれば、この先の日本の物語は、普通の日本人が考えるものよりも早くなるとも予測できます。
ペリーの黒船から、明治維新までは、わずか十五年だったことを考えれば、いまから十五年後の二千四十年は、いまの日本ではない日本国と日本人が出現しているということになります。そのために、何ができるのかを、ひとりひとりの日本人が考えるべき時が来ています。
神紀五年(二千二十五年)十月十六日 積哲夫 記